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『よそ者の会』川野邉修一(出演)インタビュー

  • 執筆者の写真: よそ者の会
    よそ者の会
  • 7月3日
  • 読了時間: 16分

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🎬 映画『よそ者の会』 全国順次劇場公開中!

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5月23日(金)からテアトル新宿で5日間にわたり上映された映画『よそ者の会』は、その後も各地で上映の場を広げています。

このページでは、映画をより深く味わっていただくための特別コンテンツを随時公開中です!


今回は、メインキャストである川野邉修一さんの特別インタビューをお届けします!


何をしても楽しくなかったあの頃。唯一心を救ってくれたのは、テレビドラマと映画だった――。

物語を“観る”側から“つくる”側へ。大学、映画美学校、会社員生活を経て、

現在は監督として、俳優として、世界と向き合い続ける川野邉修一さん。

その歩みは、“よそ者”として生きる姿にも重なります。


自作『凪』や『ボクらのホームパーティー』の制作背景、『よそ者の会』への出演、そして演劇への関心や“つくれなかった時間”の過ごし方まで、さまざまなお話を伺いました!


どうぞお楽しみください★



映画『よそ者の会』あらすじ
鈴木槙生は大学の清掃員として静かに働く傍ら、密かに爆弾作りに没頭している。そんなある日、構内で「よそ者の会・会員募集」と書かれたポスターを目にした槙生。入会の条件は、「よそ者」であること。興味を抱き会合に参加してみると、そこには日々の鬱憤や殺伐とした感情について語り合う学生の姿があった。その奇妙な集まりを主催するのは坂田絹子という女子学生。一見普通の学生に見える絹子も、意外な秘密を抱えていて。・・。「どこにいてもよそ者だと感じる」。そんな「よそ者」たちが、ひとつの場所に集まった。


インタビュアー 西崎羽美(監督)


▼ドラマに救われた日々が、映画への入り口に。


西崎 : まず、映画を始めたきっかけについて教えてください。


川野邉 : もともとはドラマが好きだったんです。小学4〜5年ぐらいの頃、軽いうつ状態になってしまって。何をしても楽しくなくて、学校も1週間ぐらい休んじゃったり、朝起きた瞬間に「何も面白くないな」って感覚になって泣いちゃったり。

そのときに唯一時間を潰せたのがテレビだったんです。何も考えずに観て「楽しい」と思えるようになっていったんです。それでドラマをたくさん観るようになりました。

自分でサイトを作って、「今シーズンはこれが面白い!」ってドラマのランキングを発表したりもしてました。それくらいハマってましたね。

そこから映画を観るようになったのは、「映画はもっと物語が凝縮されている」ってことに気が付いたから。より強い表現に惹かれて、自然と映画が好きになっていきました。

自分が何に対しても「面白い」と思えなくなっていた状況から救ってくれた映画に、恩返しをしたい気持ちというか、自分も作り手側になりたいと思ったのが、映画制作を志したきっかけでした。

最初は昔の映画とか全然見ていなくて。岩井俊二監督とか、あとは割と商業的な作品ばかり観てました。本格的に映画を観始めるようになったのは、大学に入ってからですね。


西崎 : 映画をより深く掘り下げて観るようになった、転機になった作品はありますか?


川野邉 : 当時は高校生だったので、『リリイ・シュシュのすべて』(2001)にはすごい影響を受けたと思います。

でも、「これはもう絶対に映画だ!」って強く感じたのは、ビリー・ワイルダーとエルンスト・ルビッチの作品ですね。


西崎 : 私も大好きです。特にどの作品が好きですか?


川野邉 : ビリー・ワイルダーは全般的に好きなんですが、『情婦』(1957年)とか『アパートの鍵貸します』(1960年)は特に好きかな。

映画美学校入る前の大学生の時に、『名映画300選』っていう本をブックオフで買って、「全部観よう!」と思って観ていく中で、その二人にどっぷりハマった感じです。

ルビッチはすごく王道なんだけど『生きるべきか死ぬべきか』(1942年)が好き。

あとで知ったんですが、ワイルダーとルビッチって師弟関係にあるんですよ。それを知って、「自分の“好き”は間違ってなかったんだな」って思えたのも嬉しかったです。


西崎 : ハリウッド映画が好きだったんですか?


川野邉 : そうなのかも。たとえば『フェイシズ』(1968年)や『バージニア・ウルフなんかこわくない』(1966年)みたいに、アメリカ人が感情をストレートに表現するのがすごく羨ましいと感じていて。

自分が「アメリカ映画っぽい作品を作ろう」と意識してるわけではないんですが、登場人物が感情をあらわにする描写が多くて、結果的に近い雰囲気になっているかもしれません。

自分が監督した『ボクらのホームパーティー』(2022年)も、『真夜中のパーティー』(1968年)などそういう年代のアメリカ映画に影響を受けていて。後半に大きな喧嘩のシーンがあるんですけど、あれはかなり感情的で。

日本のゲイのホームパーティーであそこまで大喧嘩することは実際には少ないと思いますが、自分の中には「本当はこういうふうにぶつかりたい」って気持ちがあって。それが脚本に出ることも多いですね。たぶん、自分は衝突を好むタイプなのかもしれない。



▼初めての自主映画制作


西崎 : 実際に自分で映画を作り始めた経緯はどんな感じだったんですか?


川野邉 : 大学は普通の理系大学に進んで、映画サークルに入りました。そこで何作か撮ったりもしました。北野武監督も理系出身で、「まったく違う分野で学ぶことが大事」って言っていたので、自分もそうしてみても面白いんじゃないかと思って。

サークルで初めて撮ったのが『しとしと』という10分くらいの短編です。先輩に教わりながら撮る予定だったんですが、当日にまさかの台風が来て、先輩が来られなくなって。でもキャストは集まっていたし、とにかく撮らないといけない。

それで、当時はゴダールを集中的に観ていたので、脚本がなくてもその場で即興的にやればいいと思って、台風も「これは使える」と思って、そのまま作品に取り入れて作ったりしました。


西崎 : そこから映画美学校に?


川野邉 : はい。大学での制作も楽しかったんですが、先輩たちもそこまでちゃんと教えてくれるわけではないし、作品のクオリティもあまり高くないなと思って。

そんなときに先輩から「映画美学校っていう場所があるよ」と教えてもらって、入学しました。


西崎 : 映画美学校はどうでしたか?


川野邉 : めちゃくちゃ楽しかったです。ただ、「若いね〜」ってチヤホヤされる一方で、自分は映画を全然観てこなかったことに対する悔しさもあって。

フィクション・コースの初等科16期って、全員が修了制作を撮れるわけじゃなくて、最終的に4人だけが選ばれるんですけど、自分は選ばれませんでした。

正直めちゃくちゃ悔しかったんですけど、別の人の作品に主演で呼ばれたり、自分が制作部として参加した修了制作が映画祭に入ったりして。そういう経験はすごく貴重でしたし、今につながっていると思います。


美学校終了制作として川野邉さんが主演をした映画『泥人』オフショット
美学校終了制作として川野邉さんが主演をした映画『泥人』オフショット

『泥人』
『泥人』

▼映画業界の現実


西崎 : 映画美学校を修了してからも、社会人として働きながら映画制作を続けていたんですよね?


川野邉 : そうですね。大学生の頃に、実は映画の制作部でインターンをしたことがあって。その作品は予算が8000万円ぐらいで、日本映画としてはかなり低予算の部類に入るんですけど、撮影期間が2ヶ月くらいあって。インターンなのでかなりこき使われたりして。もちろんタダ働きだったし。

撮影の後半なんかは、1日1時間ぐらいしか眠れない日が続いて、「このままじゃ本当にヤバいな」って思ったりして。

実は映画の現場のインターンには、文化庁などから制作会社に補助金が出る仕組みがあるんです。でも、僕はそれを知らずにインターンをしていた。で、最後の発表会みたいな場で、著名な映画監督の方が「君たち一人あたり3万円くらい、制作会社にお金が入っている。でもそれは一切君たちには渡らない」と言っていて…。それがすごくショックだった。

文化庁の芸術分野への予算って、国立大学の1年分の予算と同じくらいしかないってことも聞かされて、「そんなに夢のない業界なんだ」とも思ってしまって。

それで「自分で作るしかない」と思って、働きながら映画を作っていく道を選びました。


西崎 : 大学卒業後は会社員になっていますよね。それも、映画の現場を経験したうえで、あえて一般企業に入ったということですか?


川野邉 : そうです。やっぱりインターンの経験が大きかったですね。インターンをしていた時、会社の人に「卒業しても、うちには来ない方がいい」と言われたんです。別に僕がダメだったからじゃなくて、「大学卒業してすぐ映画の現場に入ると、それが“日常”になってしまう。でも映画って、普通の生活をしている人の気持ちを想像しないと撮れない」と言われて。

だから「まずは3年間、社会に出て働いてこい。それでもまだ映画をやりたいと思ったら戻ってこい」と。その言葉を素直に受け止めて、会社員になりました。


西崎 : その人、いい人ですね。


川野邉 : そうですね、本当に。




▼コロナ禍で生まれた映画



西崎 : 社会人になって最初に撮ったのが『凪』ですよね。どういった経緯で制作に至ったんですか?


川野邉 : 大学4年生のときに「映画を作りたい」と思って、準備を進めていたんですが、卒業までに間に合わなくて。そのまま就職して、「働きながら作ろう」と思っていたんですが、やっぱり仕事が忙しくて、なかなか時間もお金も作れない。結局、実際に動き出せたのは社会人2年目に入った頃でした。

でも、そのタイミングで、出演をお願いしていたキャストの一人が芸能界を辞めてしまったんです。それがすごくショックで、もう一生映画は作れないかもしれないと思ったりして。

でも、元々出演してくれる予定だった日高七海さんという役者さんが、「私はずっと出たいと思っている」と言ってくれて。それがすごく励みになって。じゃあ「サブキャストだった彼女を主演に据えよう」という話になって、『凪』の制作が本格的に動き出しました。


西崎 : そこから次作『ボクらのホームパーティー』までは、結構間が空きましたよね。


川野邉 : はい。『凪』が2016年、『ボクらのホームパーティー』は2020年に撮影を行ったので、4年空きました。



西崎 : 『ボクらのホームパーティー』はコロナ禍で撮影されたんですよね?


川野邉 : そうです。撮影は2020年でした。本当は4月末からリハーサルと撮影を予定していたんですが、緊急事態宣言が出てしまって延期になって。

スタッフやキャストとも話し合って、「今は撮れない」と判断し、いったん止めることにしました。いつ緊急事態宣言が解除されるかも分からない中で、とにかく今できることをやろうと思って、脚本に集中することにしました。


西崎 : 撮影は結局いつになったんですか?


川野邉 : 緊急事態宣言が出た後再スケジュールして、7月1日から撮影をスタートしました。


西崎 : 無事に撮れてよかったですね。そして、『ボクらのホームパーティー』は劇場公開もされましたよね?


川野邉 : はい、自主的に映画館に売り込みをしました。1年半くらいかけて粘り強く劇場との交渉を続けて、ようやく上映が決まりました。東京での上映が盛り上がったので、その後も興行成績を具体的な数字で提示したりして、劇場を増やしていきました。


西崎 : すごい。私も一通り自分で経験してみたからこそ、その大変さと凄さが分かります。


川野邉 : そうですね。ただ、映画監督はプロデューサーもやるべきだと聞いたことがあって。制作全体の予算感とか、どういう宣伝が効果的なのかっていう“裏側”を知ることが、次の作品作りにも活きてくるから。それもあって、自分でやってみたんです。


川野邉さんが監督をした映画『ボクらのホームパーティー』
川野邉さんが監督をした映画『ボクらのホームパーティー』

▼監督から俳優へ


西崎 : 劇場公開されたあとに映画美学校にもう一度行ったんですか?


川野邉 : いや、劇場公開される前に、映画美学校のアクターズ・コースに入りました。


西崎 : すでに映画美学校のフィクション・コースで映画作りは学ばれていて、監督経験もある中で、どうしてアクターズ・コースに入ろうと思ったんですか?


川野邉 : 短編も長編も撮って、ある程度シナリオの書き方とか撮影スタイルは掴めた感覚があって。だから、まだ自分が若くて動けるうちに違うことに挑戦したいなって。大人になると新しいことに飛び込むのってどんどん難しくなるじゃないですか。それで、以前から興味があった“演劇の演出”をやってみたくて、アクターズ・コースに入りました。


映画美学校アクターズ・コース2021年度修了公演『かもめ』
映画美学校アクターズ・コース2021年度修了公演『かもめ』

西崎 : 演出をしたいから、まずは“される側”を体験してみよう、ということですか?


川野邉 : そうですね。演出家の友人にいろいろ聞いたとき、演出助手として現場に入るのもいいけど、俳優として現場に入るのが一番舞台の作り方がわかるよと言われて。


西崎 : 実際に演じる側になってみてどうでした?


川野邉 : なんか、ずっと“よそ者”感はありましたね。「自分、なんでここにいるんだろう?」みたいな。


西崎 : (笑)どういう授業があったんですか?


川野邉 : 僕が入ったアクターズ・コース10期生は個性的なメンバーが多くて、バックグラウンドがバラバラ。ろう者の方も受講生いて、その子たちの第一言語は日本手話なんです。だから、手話と発話の違いも意識した授業内容でした。たとえば、体をどう動かすかっていうワークがあって。椅子が5つ並んでいて、10メートル先にも同じように5つ椅子が並んでる。その片側の椅子にまず座らされて、反対側にひたすら往復する。ただ、立ち上がるタイミングとか歩く速度は自分のペースでいい。


西崎 : へぇ〜。みんな一斉にやるんですか?


川野邉 : そうですね。最初はみんな一斉に立ち上がったりするけど、歩く速度は人によって違うから、自然にズレてくる。そのズレも含めて「動きの面白さ」になっていく感じで。それがすごく面白くて。映画のワークショップやオーディションにも応用できそうなワークだなと思ってます。


西崎 : なんかこう形の違うイタリア式みたいな。


川野邉 : そうそう、そんな感じです。


西崎 : 演技を学んでみて、どう感じましたか?


川野邉 : 未だに自分のことを“俳優”って思えなくて。正直、恥ずかしい瞬間も多いです。インタビューをしていただく時とかも、「自分、めっちゃ俳優っぽいこと語ってるな」って思って(笑)。


西崎 : 感覚的にはやっぱり作り手寄りですか?


川野邉 : うーん、そうですね。自分自身の演技を上手いって思ったこともないし、いろんな役に挑戦したい気持ちはあるけど、「俳優一本でやっていく」っていう覚悟はまだない。




▼演劇への興味


西崎 : 今後は映画を中心にやっていきたい、みたいな軸はあるんですか?


川野邉 : 「軸がない」っていう状態が逆にいいのかも。いろんなことに柔軟に関わりたい。でも基本は映画をつくりたいし、映画監督としてやっていきたいという気持ちはあります。ただ「絶対監督にならなきゃ」とか「作家としてこうあるべきだ」みたいな強いこだわりを持つと、自分にとっては生きづらくなる感じがあるんです。だから、いろんなことに関わって、また映画に戻ってこれたらいいなって。


西崎 : いろんな経験を経て、タイミングが来たらまた撮ると。


川野邉 : そうですね。最後に映画を撮ってから、もう5年も経ってるし。


西崎 : もうそんなに経ってるんですね。 撮りたい気持ちはあるんですか?


川野邉 : 今年はずっと演劇をやりたいと思ってて。


西崎 : 演出する側としてですか?


川野邉 : はい、演出したくて、ずっと戯曲を書いてるんです。それをやらないと次に進めない気がしてて。それが終わったら映画もまた撮りたいです。


西崎 : 今書いてるのはどういう戯曲なんですか?


川野邉 : だいぶ前にiPhoneを修理に出した体験をもとにしてて。サポートに1時間ぐらい電話して、結局渋谷の修理センターに行くことになって。サポートには30,000円かかるかもしれないって言われたけど、とりあえず行ってみたんです。そしたら、半袖ジーパンの定員さんが出てきて、「え、この格好で?」みたいな。なんかテンションが合わないというか。名前も確か“修一さん”って下の名前でいきなり呼ばれて、すごくフランクな感じで…。


西崎 : (笑)


川野邉 : 別に悪いことじゃないんだけど、なんでこっちは修理に来てるのに、こんなに友達みたいな接し方なんだろうって違和感があって。その後も30分くらい待って、ようやく修理の担当者みたいな人が来て。携帯をちょっと見て「これ、大丈夫ですよー」って言われて。結局、修理は無料で済んだんだけど「今までの時間なんだったんだろう?」っていう気持ちが残って。それで自分が思ってる以上に“日本人的な感覚”が根付いてるんだなって思ったんです。別に愛国心があるわけじゃないけど、無意識に“日本人っぽさ”から逃れられないことへの気持ち悪さというか、違和感みたいなものが残って。そういう体験をもとに何か作れないかなと。


西崎 : ステレオタイプみたいなものへの問いかけを戯曲にしてるんですね。


川野邉 : そうです。ちょっとシュールでコメディっぽい雰囲気なんですけど、途中でダンスが入ったり、「日本的って何なんだろう?」って考えさせるような要素も入れてて。


西崎 : 社会派な側面もある作品なんですね?


川野邉 : いや、というよりも、問いかけるようなふりをしてる感じです。


西崎 :これだけ聞いていても、確かに演劇っぽい構成ですね。面白そう。頑張ってください。


川野邉 : ありがとうございます。




▼『よそ者の会』への出演を振り返って


西崎 : 演じる側としては、今後やってみたい役とかありますか?


川野邉 : 「この役がやりたい」というより、「この監督の作品に出たい」っていう気持ちの方が強いですね。濱口竜介監督とか黒沢清監督とか。あとは映画美学校の生徒がつくる作品には、毎回すごく出たいと思ってます。それこそ羽美ちゃんの次の作品も出たい。


西崎 : ありがとうございます。『よそ者の会』は、出てみてどうでしたか?



『よそ者の会』
『よそ者の会』

川野邉 : すごく楽しかったです。一作目も二作目もそうなんですけど、自分も映画が撮れなかった時期があったから、羽美ちゃんが撮ってくれるっていうこと自体がすごく嬉しくて。羽美ちゃんが撮れなくなっちゃった時期も知ってたから、だから快諾しました。この役で売れたいとかそういうのじゃなくて、純粋に参加したいと思って。それに、鈴木槙生に関しては、この役は自分にしか演じられないと思って臨みました。

映画が成功することももちろん嬉しいけど、それ以上に一緒に関わったスタッフやキャストが喜べる状況にあることが一番嬉しいです。


西崎 : わかります。私も同じような感覚で、この映画がみんなの次のステップにつながったらいいなと思っています。


川野邉 : でもすごい良かったよね。大学院の入試で作った作品が、その後の自分を救ってくれるって。


西崎 : 本当に、まさかの展開でしたよね。こんなことになるなんて想像もしてなかったから。


川野邉 : あとは撮影が終わって、普通に寂しかったです。


西崎 : それ、ずっと言ってくれますよね(笑)


川野邉 : 本当に。現場にいるときだけは“よそ者”じゃなくなった気がしてたから。終わるとまたよそ者に戻っちゃう、みたいな寂しさがあった。


西崎 : それだけリンクしてたってことですね。


川野邉 : そうだね。自分が監督してるときは、現場のあとも編集とか映画祭出品とかやることが山積みで、寂しさを感じる暇もないんですけど。


西崎 : 確かに。


川野邉 : でも俳優は、撮影が終わったら終わりなんだって。その喪失感は大きかったですね。


(完)

対談者プロフィール


川野邉修一(出演)
1991年5月7日、東京都江戸川区出身。法政大学情報科学部デジタルメディア学科卒業。映画美学校フィクション・コース及びアクターズ・コース卒業。主演を務めた短編映画『泥人』(上野皓司監督/2013)が2014年調布映画祭グランプリを受賞。また、同じく主演を務めた『よそ者の会』(西崎羽美監督/2023)は第18回田辺・弁慶映画祭にてキネマイスター賞を受賞。他の出演作は、『MY LIFE IN THE BUSH OF GHOSTS』(宮崎大祐監督/2024)、『松坂さん』(畔柳太陽監督/2024)がある。また、監督作品『凪』(2017)は21st CHOFU SHORT FILM グランプリ・SKIPシティ国際映画祭入選、『ボクらのホームパーティー』(2022)は大阪アジアン映画祭2022・第30回レインボーリール東京入選。


西崎羽美(監督)
2001年静岡県生まれ。大学在学中より映画美学校とのダブルスクールを行い、映画制作を学ぶ。映画美学校フィクション・コース第25期高等科修了。現在は日本大学大学院芸術学研究科映像芸術専攻に在学中。本作が初めての劇映画。

映画『よそ者の会』

​川野邉修一 坂本彩音 比嘉光太郎​

​監督・脚本 : 西崎羽美 撮影 : 松田恒太 録音 : 色川翔太 / 大澤愛花
照明 : 根岸一平 助監督 : 中江伶乙 / 小林慶太郎 協力 : 昭和女子大学

宣伝協力 : 中沢志保 配給 : 13 o'clock films 

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