『よそ者の会』監督・西崎羽美インタビュー
- よそ者の会
- 5月20日
- 読了時間: 19分
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🎬 映画『よそ者の会』
2025年5月23日(金)よりテアトル新宿ほか全国順次公開!
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公開までのこりわずか!!
上映に先駆けて、このページでは映画をより深く楽しめる特別コンテンツを続々公開予定です!
今回は、『よそ者の会』の監督・西崎羽美さんの特別インタビューをお届けします!
映画を好きになったきっかけから、よそ者の会のこと、そして創作についてなど、ボリュームたっぷりの内容です!
観る前に読んでも良し、観た後に読み返しても良し!『よそ者の会』の世界を、さらに楽しんでいただけますように──。
どうぞお楽しみください★
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映画『よそ者の会』あらすじ
鈴木槙生は大学の清掃員として静かに働く傍ら、密かに爆弾作りに没頭している。そんなある日、構内で「よそ者の会・会員募集」と書かれたポスターを目にした槙生。入会の条件は、「よそ者」であること。興味を抱き会合に参加してみると、そこには日々の鬱憤や殺伐とした感情について語り合う学生の姿があった。その奇妙な集まりを主催するのは坂田絹子という女子学生。一見普通の学生に見える絹子も、意外な秘密を抱えていて。・・。「どこにいてもよそ者だと感じる」。そんな「よそ者」たちが、ひとつの場所に集まった。
インタビュアー スタッフA
▼放課後の時間と映画
A : 映画に興味を持ったきっかけって何だったの?
西崎 : 映画をちゃんと観るようになったのはけっこう遅くて、高校生になってからだった。
まわりの映画をやってる人たちって、親の影響で小さい頃から観てたって人が多いけど、私はそういうのが全然なくて。
金曜ロードショーとかもほとんど観てなかったし、映画館にもあんまり行った記憶がない。男兄弟に挟まれて育ったからポケモンは毎回観に行ってたけど、それ以外の例えばハリーポッターとかも、映画館で観た記憶がない。
母が荻上直子さんの映画をいつもテレビで流してたりはしていたけど、それで自分も観るようになったとかも特になくて。
でも高校に入ってから放課後の時間を持て余すようになった。
仲の良かった友達たちはみんな部活が忙しかったし、でも授業終わって早めに家に帰ってもすることないなって思って。
それで、本当はスマホ禁止の学校だったんだけど、誰もいない教室で、先生にバレないようにこっそり一本映画を観てから帰る、みたいなのが自分のルーティンになり始めた。
その時に、自分の知らない映画が本当にたくさんあるんだって気が付いて、なんかすごく好奇心が湧いた。
例えば誰かが映画の話をしているとして、その映画を自分が知らないっていう状況がすごく嫌だった。それで、その人が話してた映画を観てみるっていうのを続けてるうちに、少しずつ映画に詳しくなった。
A : 時間を潰せるコンテンツって他にもいろいろあると思うけど、なんで映画にハマったの?
西崎 : 映画って放課後に1本観終わるから、ちょうどよかったんだよね。だからドラマよりも映画だったんだと思う。
あと、当時好きだった海外の歌手の方が、日本映画にすごく詳しかったの。
その人は日本の映画をたくさん知っているのに、自分は全然知らないのが悔しくて。負けず嫌いなんですよね。とにかく「知らない」ってことが嫌だった。
A : 何の媒体で観てたの?
西崎 : 最初はアマプラだったと思う。その後Netflixが流行り出して。
私はエイサ・バターフィールドが好きだったから、彼の作品が見たくて親にNetflixに入ってもらった。そのあとU-NEXTにも入ってもらって。
A : その頃もう配信ってあったんだ。
西崎 : うん、あった。ただ当時は配信は主流じゃなかったから、体感としてはコンテンツはそんなに充実していなくて。だから配信されてない映画は全部TSUTAYAで借りてた。結構な頻度で通っていて、その頃にハマり出したのが台湾ニューシネマだった。
特に侯孝賢には当時すごく衝撃を受けて。
『恋々風塵』を初めて観た時に、うわーすごいなって、高校生ながら思った記憶がある。映画に詳しいわけじゃなかったけど、ただただ「すごい」って。そこからアジアやヨーロッパの映画も観るようになった。
入り口としてティーンものとかミュージカルとか、有名どころは一通り観た上で、もっと映画史に沿った作品も観てみたくなった。
それと、監督が影響を受けた作品とかって無限にあるから、そういうのを調べてどんどん観るようになって。気づいたら、ちょっと映画に詳しくなってた感じです。
あと『よそ者の会』とか撮ってるけど、本当は『藍色夏恋』とか、『渚のシンドバッド』とか、恋愛映画も好きだよ。『藍色夏恋』とか、好きすぎてOSTも全部弾ける。
A : そういう情報ってネットで自分で調べてたの?
西崎 : そうだね。あとはTSUTAYAとかで興味を持った映画を観たり、レビューサイトをとにかく見まくったり。
今思うと地元のTSUTAYAの品揃えが良くて、それで結構アジアの映画とかヨーロッパの映画とか含めていろいろ観ることができた。エドワード・ヤンも揃ってたし、新藤兼人とか増村保造とか、ベルトルッチとかフェリーニとかも、地方の割にちゃんとあった。
A : それが高校生の時ってことだよね。でもなんで映画学科に行かなかったの?
西崎 : 最初はやっぱり映画を学びたかったから、オープンキャンパスは映画学科のある大学に行ったんだけどね。
でもやっぱり高校時代に映画を作ったことがなかったから、親とか先生から「映画を作ったこともないのに、映画の大学に行って合わなかったらしんどいんじゃない?」って言われて。自分はそれにちゃんと納得ができたから、じゃあ映画とは関係のない学部に行って、ダブルスクールをしながら映画美学校に行こうっていうのを高校生の時から決めました。
大学は社会学系に進んだんですけど、入学したタイミングでコロナが始まったから、一応入ってみた映画サークルも結局一度も活動がなくて。だから1年で、しれーっとやめた。
それで、やっぱり映画美学校に行かなきゃっというか、映画を作りたいしもっと知りたいって思いが強くなった。
A : それって監督になりたいって思ってたってこと?
西崎 : そうだね。当時は映画を作る=監督みたいな感覚だったし、ものづくりをするっていうのは昔から好きだったから、自分で何かを作りたいという思いがあった。
映画を作ったこともないのに、映画が撮りたいなっていう想いは漠然とあって。
でも自分に映画が合うのかどうかも作ってみないと分かんないから、実際に作る場を求めて映画美学校に入ったっていう感じ。

A : 実際に映画を作ってみて、自分に映画は合ったの?
西崎 : 当時を振り返ると、正直何も分かってなかった。
合うか合わないか考えることも怖かったし、やっぱり自分に才能がないんだって現実に絶望するのも嫌だから、本当につい最近までそれに関しては答えが出ていなかった。
3月くらいまで映画はもうやめようかなとか普通に思っていたし、自分で考えるのもいやで結構運命に身を委ねてた。
ここにいくことになったら映画を続ける、ここにいけなかったら映画をやめる、みたいに。
映画を作るということに対して、確信が持てていなかった。
だけど最近、やっぱり映画が撮りたいなと思えるようになった。だから、これを仕事にしていきたいなと思ってる。
とにかくもっと面白い映画を撮りたいなとも純粋に思っているし、自分の作る映画のことを信じてもらいたいなと思うようになった。
A : 映画を作る段階でどこが1番好き?
西崎 : 選ぶのは難しいけど、演出してる時は好きだなと思う。人を動かすのが好き。目線のやり取りとか。普段から考えることはすごく好きだから、そういう面でもフィットする部分はあるのかも。
脚本を書くときって、自分と向き合って自分の中にあるものを文字に起こしていかないといけないけど、現場になると実際に文字で書いていた人物が目の前にいて、その人たちと議論ができる。こういうセリフがあるけど、実際その人を演じる人としてはこのセリフどう思いますか?とか。この動きをするっていうのはこれまでの流れに沿ってると思います?みたいな。そういう素朴な疑問も問いかけられて、返ってくるというか、そこから形にしていくっていうのが楽しいなという感覚はある。
A : その問いかけをして役者さんが言葉にして答えてくれたら、それを答えとして受け取るの?
西崎 : やってみてくださいって言ってやってくれたものを、丸々正解だとは思っていない。自分の考える種みたいなのをくれるという感覚。ラリーができるのが楽しい。
▼よそ者の会との共通点
A : 『よそ者の会』って、自分の実体験も深く関係してる?
西崎 : 作っている時はあまり自覚はしていなかったけど、あとから振り返ってみると、自分のことがいろいろと反映されているなと思った。セリフも結構赤裸々で、嫌なことを言ってるし。
A : 具体的にはどういうところが出てるなと思った?
西崎 : 私はもともと悲観的な性格で、妬み嫉みをずっと抱えてきたような人間だから、正直人の幸せを心から祈れたことなんて、ほとんどないと思う。
人に傷つけられた記憶もたくさんあるけど、それと同じくらい、私自身も誰かを傷つけてきたと思うし。
私は私を傷付けた人に幸せになってほしいなんて思えないけど、きっと私に傷つけられた誰かも、私の幸せなんて望んでいないと思う。
そういう意味で、同族嫌悪のような感覚があって。
こんな感じのマイナスで暗い感じが「よそ者の会」の人たちに移ったんじゃないかな(笑)
A : 学生時代はどうだったの?
西崎 : 地元での学生時代もあまりいい思い出がなくて、早くそういう閉ざされた空間から抜け出したいってずっと思ってた。現実逃避のように映画を観ていたのも、そういう理由が大きい。
小中高って、もう社会の縮図みたいなとこあるじゃない?
あの小さなコミニュティが本当に苦手で、早く匿名になりたかった。それで、とりあえず東京に行きたいって。
A:実際に東京に出てきてからは、どうだった?
西崎 : 大学に進学したけど、ちょうど入学と同時にコロナが始まっちゃって、最初のうちはずっとオンライン授業だった。登校すらできなかったし、いまだに入学式もやってない(笑)。
でも、オンライン授業は匿名性が高かったぶん、それほど苦ではなかった。私、何も予定がなければずっと家にこもってるようなタイプだから、むしろ一人の時間がたくさんあって、毎日けっこう楽しかった。1週間くらい家から出なくても、正直全然平気だった。
A:そこから映画美学校にも通い始めたんだよね?
西崎 : そうそう。大学2年生の頃から映画美学校にも通い出して、ダブルスクールを始めていたから、大学の外に自分の居場所ができて、そっちに没頭していた。
私にとっては外の世界の方が心地よかったし、やっぱり映画がやりたかったから。
それで大学4年生になって、院試のために映画を作らないとってなった時に、大学での思い出が全然ないなって気が付いた。それで大学を使って映画を撮りたいっていうことだけ決めて、そこから物語にしていった。
よく「ご自身が「よそ者」だと感じているからこういう映画になったのか」って聞かれたりするんだけど、私は正直よくわからない。そう思う時もあるし、そう思わない時もあるから。結局それってコミュニティと関係の中で変わる問題だと思うし。いわゆる「分人主義」に近い。普段は居心地がいいと感じる場所でも、ふとした瞬間に「私はここではよそ者かもしれない」と思うことって、誰にでもあると思う。だから、「よそ者だと感じない人」なんて、きっといないんじゃないかな。
A : 今回はリハーサルはどのぐらいしたの?
西崎 : 2年前だから記憶が曖昧なんだけど、リハーサル自体は多分1日くらいしか設けられていない。本当はもっとやりたかったんだけど。ただ現場に入ってからは毎シーン30分〜1時間ぐらいは段取りがあって、その後30分くらいで撮影みたいなスケジュール感だった。
シーンごとの比率で言ったら毎回段取りが長かった。リハーサルはやっぱり大事だと思う。
A : 一方で、例えば侯孝賢とかもそうだけど、現場で動かして、その現場の空気感を大切にするみたいなやり方もあるじゃん。それはどう思う?
西崎 : 性格の問題かもしれないけど、私はちゃんと計画を立ててやりたいというか、ある程度自分の中で準備をした上で現場に行きたい。その現場でそこの空気感みたいなものに切り替えていくならまだいいけど、何も自分の中で明確なアイデアがない中で、そういうスタイルに舵を取るのは怖いかも。もちろん準備した上で行くけど、そこの準備から外れる怖さみたいなのもある。
A : 『よそ者の会』って2024年に撮影をしたリメイク版があるけど、リメイク版の時の撮影はどんな感じだったの?
解説 『よそ者の会』(2023)は西崎が大学院入試のために作ったもの。 『よそ者の会』(2025)は2023年版の脚本が評価され、映画美学校フィクション・コース高等科の修了制作として自主リメイクした『よそ者の会』。2024年に撮影を行った。 |
西崎 : その怖さみたいなもので言うと、大人数で言い争うシーンの撮影をした時に、現場に入る前にある程度動線やカメラ位置を決めていたんだけど、実際に現場でカメラを置いたら全然自分の思っていた画じゃなかったっていう時があって。
手前にこの人がいたら奥にこの人がいる、みたいな縦位置の構図を作ろうと思っていたのに全然想定通りに映っていなかったの。
映ってないっていうのは物理的に入らなかったということ。
動線もそうだし、教室内でのカメラの引きじりがあまりなかったりして、想定していた画にならなかった。
その時は瞬時に切り替える必要があったんだけど、時間がかかっちゃったね。人数も多いシーンだったからカメラ位置がなかなか決まらなかったからなんだけど。
だからもう一度動きを確認して修正して、カメラ位置も見直して、っていうのを現場でやり直した。時間的にはかなりオーバーしちゃって大変だった。
カメラを置く位置に関して言えば、割と自分は引きがちで、人物と距離を取る傾向があると思う。2023年版『よそ者の会』は、特に寄りが全然ない。これに関して言えば、人じゃなくて大学を撮りたかったのかもしれない。
自分がこの場所を離れるっていう感覚もあったし、この映画を作った動機自体、この場所を映画に収めておきたいっていうものだったから。

A : 風景を撮る映画もたくさんあるけど、今後は人と風景、どっちに重きを置いていきたいの?
西崎 : 人物をちゃんと撮りたい。
A : それはどうして?
西崎 : ちょうどさっき『インデペンデンス・デイ』を見てたんだけど、ちゃんと感情を発露する人々がいて、何か大きな出来事が起こって……とか、そういうエンタメ映画の撮り方が自分はまだできないというか。
人を撮ることが必ずしも正解だとは別に思ってはいないけど、すぐ引き画にしたり、場所を撮ったりとか、そういうことをしがちな傾向があるからこそ、ちゃんと人を撮る必要があるなとは思う。まずは、人をちゃんと描いた本を書きたい。
それこそ昔撮った短編も人が怒るみたいなシーンを入れたりしていたんだけど、感情が顕になるようなシーンがある映画はすごく好きで、そういう映画はやってみたい。
最近で言ったら『アノーラ』とかもそうだったけど、あれだって本当に技量がいることじゃないですか。
私もいずれちゃんとやってみたいなと思ってる。
A : 今回はそれをやろうとは思わなかった?
西崎 : 思わなかったね。よそ者の会に関して言えば、感情が爆発する寸前で萎んでいって気後れしてしまう感じだから。そうじゃない人も出てくるけど、でも感情の状態が違う人が、声を大にすることで、解決するような状況でもなかった。
A : こうしておけばよかったみたいなのはある?
西崎 : 撮り方に関してはそんなにないかな。実際リメイクで撮り直しをしてるから余計にそう思う。結局その時にしか撮れないものがあるから、その時にはその時の良さがある。2023年版の『よそ者の会』はあまり映画を撮った経験がなかったからこそ、むしろ自由に撮れた。だからそれはそれですごい良さだったなと。
脚本に関して言えば、個人的には改善の余地があるセリフだなと思っていたんだけど、意外と周りの人からはセリフが上手だって言われたりすることがあって。その感覚の違いが気になる。リメイクした新しい『よそ者の会』は、セリフに関しては改善できたなと思ってる。
リメイク版は高橋洋さんからかなり手厚く脚本の指導をしていただいていたんだけど、高橋さんから「これは映画の中で登場人物が言うセリフではなくて、この映画を観た批評家が言えばいい言葉だよ」とか、ハッとすることを言われたりして。私自身、登場人物にどこまで喋らせればいいんだろうって悩むことが多かったから、すごく勉強になった。だからこうしておけばよかったなみたいなセリフも、リメイク版で改善できたと思う。
あとはこの映画を観た人から感想を伺った時に、誤解された受け取り方をされているなと思うことがあって。作り手だからこそ、第三者視点をちゃんと持って、映画をより客観視する必要があるなと学びました。
▼これからのこと
A : 今後はどういうのが撮りたい?
西崎 :フィクション度の高い作品はやっぱりやってみたいなというのがある。ただめちゃくちゃSFみたいな作品がしたいというわけではなくて、たとえば風景は日常なんだけど、ワードでこの世界の話じゃないんだみたいな、そういう感じでもいい。ちょっと違うけど、『ニンゲン合格』みたいな設定もすごく好き。現実なんだけど、非現実みたいな。
A : それは何かきっかけがあるの?
西崎 : 現実の世界に自分が希望を見出せなくなっているっていうのもあるかもしれないけど、SFチックな作品っていうのが昔から好きなのもあるから、やってみたいなっていうのがずっとある。というか映画を作っている時点で、フィクションを作っているしね。
正直自分が好きな映画ってあまりジャンルに偏りがないから、このジャンルを突き詰めたいとかそういうのは今のところなくて。オールマイティーに色々な映画を撮ってみたい。
A : リメイクするときは主人公を変えようと思わなかった?黒沢清監督の『蛇の道』みたいに、性別や国籍を変えるケースもあるけど。
西崎 : たとえば性別を変えるとか、あるいは世代を変えるとか、今振り返ればそういう可能性もあったんだと思う。でも当時は、そこまで発想が及ばなかったというのが正直なところかな。
やっぱり一度撮ってしまった、という感覚がすごく大きくて。リメイクという行為自体が、思っていた以上に難しかった。
というのも、そもそも元の脚本自体が評価されて、「これをもう一度撮り直しましょう」という形で始まっているから、じゃあそこから何をどう変えるべきなのか、その判断が本当に難しかった。手探りの連続で、とにかくわからないことだらけだった。
予算には余裕が出たけど、それによって「どこを、どう変えるか?」という問いはむしろ難しくなって。登場人物の数も増やして、より“よそ者の会”に近づけていった結果、当然起きる出来事も変化していく。そうやって要素を増やしていく中で、「主人公の性別を変える」とか「世代を変える」といった大きな変更が、物語の中で本当に機能するのか、どんな作用をもたらすのか、明確に見通せなかった。
A : なるほどね。助成金の枠組みでもあったし、難しさはあったよね。
西崎 : うん、本当にそう。制約の中でどこまで自由にできるのか、見えにくかった。
それに、やっぱり一度完成させた作品を「もう一度お願いします」と言われるのって、精神的にもなかなかしんどいんだよね。終わったはずのものを、もう一度開くわけだから。
しかもちょうどクランクイン直前のタイミングで、2023年版の『よそ者の会』が田辺・弁慶映画祭に入選したって連絡が来て。
それはもう「えっ、今!?」っていう感じで(笑)。
スタッフたちにもそれまでは「これはパイロット版だから」と言ってたのに、評価され始めてしまって。「本当に撮り直して大丈夫なのか?」って、心が全然追いつかなかった。
でも、結果的にはやれることはすべてやったし、より面白い『よそ者の会』を作れたと思ってる。
ポジティブに捉えれば、一度撮ったという経験はものすごく大きな強みでもあって。課題が明確になるから、それを改善する機会にもなるんだよね。一度受けた試験をもう一度、今度は別の答え方で受けてみるような感覚。
とはいえ、もうリメイクは遠慮したい、1年で自主リメイクっていう特殊なケースだったし(笑)。
2023年からずっと私は『よそ者の会』と共にあったんだなと感じる。
つい先日、ようやく2025年版が完成して、ほんとうに嬉しかった。長かったけど、今はすごく感慨深いです。

A : 映画以外に興味があることは?
西崎 : ドラマもすごく好きだから、オリジナルドラマとかもいつかやってみたい。
A : 映画とはどう違うの?
西崎 : 自由度が高い印象はある。2時間っていう枠にとらわれずに、11時間とか12時間とかの話をやるって、まず純粋にすごいことだしね。飽きさせず、ずっと見続けられる作品を作ってみたい。
A : 何がよかった?これまで
西崎 : あげだしたらキリがないけど、『グッドプレイス』『セヴェランス』『シリコンバレー』『セックス・エデュケーション』『私のトナカイちゃん』『二十五、二十一』『百年の孤独』『サイロ』、あとアニメになるけど『キャロルの終末』とか。好きな作品はいっぱいある。意外とお仕事ものが好き。オフィスっていう異質な空間が好きなんだと思う。だからそれで言うと『プレイタイム』(1967年)とか『アパートの鍵貸します』(1960年)とかああいう映画も好き。他にもたくさんあるけど、殺風景なものとか異質な空間にグッとくるものがある。だからオフィスものが好きなんだと思うし、やってみたい。
A : 最後に、何か言い残したことはありますか?
西崎 : 私、飲み会とかでも基本は端っこにいたいタイプなんです。というのも、調子に乗って失言をしたくないから、あまり喋る必要のない位置にいたい。人に嫌われたくないし、嫌いたくもないから、端っこでひっそりしていたい。お酒も別に飲まないし、できることなら空気みたいに存在を消していたい。だから、みんなは私のことなんて気にせず、楽しんでくれたらいいなって思っちゃうめんどくさい性格なんですけど(笑)
でも、そうやって端っこにいても、気を遣ってくれて輪の中に入れてくれる人っているじゃないですか。
話を振ってくれたり、ひとりぼっちにならないようにさりげなく気を配ってくれる人たち。
そういう時に、ひとりでいるのも悪くないけど、こうやって声をかけてくれる人がいるのって、やっぱりうれしいなって思うんです。
ひとりが平気だと思っていても、誰かと話すのは楽しいし、褒められたらうれしいし、最近あった嫌なこととか共有したい。
『よそ者の会』って、そんな“端っこの人たち”が集まって、今度は誰かに手を差し伸べるような、そんなお話なんだと思います。手を差し伸べるまではいかなくても、気を配ろうとする優しさ。
『よそ者の会』を通して、こう感じて欲しいみたいな大それた思いは全然なくて、ただ不器用な人間たちの姿を、少しだけあたたかい目で見ていただけたらうれしいです。
あと、テアトル新宿での最終日、5月27日(火)は、新たにリメイクした『よそ者の会』も完成披露試写会として併映します!
1日限定!新旧『よそ者の会』が同時に楽しめる超レア日です!
ぜひきてください!!
(完)
プロフィール
西崎羽美(監督)
2001年静岡県生まれ。大学在学中より映画美学校とのダブルスクールを行い、映画制作を学ぶ。映画美学校フィクション・コース第25期高等科修了。現在は日本大学大学院芸術学研究科映像芸術専攻に在学中。大学院では日本の非商業主義的映画(ATG作品)の研究を行なっている。本作が初めての劇映画。